江戸時代、大名行列に立ち入った英国人が殺傷された「生麦事件」の発生から162年目となる8月21日、生麦にある事件碑で地域住民らによる追悼祭が行われた。

 生麦事件は、幕末に近い1862年(文久2年)、薩摩藩・島津久光の行列に立ち入った英国人を薩摩藩士が殺傷した事件。
現在の生麦小学校裏の旧東海道で発生した。

 事件後、薩英戦争から明治維新へとつながり、日本が近代化に向かうターニングポイントとなった歴史的事件とされている。

キリンビール横浜工場の入口そばにある生麦事件碑。日本とイギリスの国旗を飾り、追悼祭は杉山神社の宮司が執り行う

5年ぶり通常開催に

 生麦事件碑は1883年、戸長と言われる当時の鶴見区長・黒川荘三が建立したもの。

 追悼祭は現在まで受け継がれ、100年祭を機に結成された周辺の6つの自治会町内会の会長から成る生麦事件碑顕彰会が継続している。

 同顕彰会は例年、発生日となる21日の午前中に中区の外国人墓地を訪れ、犠牲となった英国人チャールズ・リチャードソンの墓を参り、午後に追悼祭を行っている。

 コロナ発生後も墓参りは継続していたが、今年は5年ぶりにコロナ以前の形での開催となった。

 当日は、例年通り日本とイギリスの国旗が飾られるなか、来賓や近隣住民ら約50人ほどが参加。犠牲となった英国人・リチャードソンを偲び、地域住民らが事件碑に手を合わせた。

 今年から生麦事件碑顕彰会の会長を務める西部本宮町会の川端重義会長は「追悼祭を毎年行うという責務があるなか、久しぶりだったが、無事にできてほっとしている」とし、「来年以降も粛々と続けていくことで、自然と次代につながっていけば」と話した。

顕彰会を代表して事件碑に玉串を捧げた川端会長


最新記事