生麦小学校(小倉孝行校長/全校児童数339人)が創立100周年を迎え、6月15日、在校児童や地域住民、関係者などによる記念行事が行われた。

100周年記念事業の一つとして塗り替えられた校庭の投てき板。生麦と言えば「蛇も蚊も」という児童たちの声で作られた100周年記念キャラクター「じゃもまる」が描かれている

 生麦小学校は、1873年(明治6)生麦にある正泉寺に開かれた「生麦学舎」が前身となっている。

 その後、75年(明治8)に「生麦学校」、87年(明治20)に「生麦尋常小学校」と名称を変更。

 94年(明治27)には、当時の市町村制により、生麦、鶴見、東寺尾の三村が合併し生見尾村が誕生したことを受け、周辺の学校が「尋常高等生見尾小学校」に統合。

 このときの学校は生麦から離れ、現在の京急「花月総持寺」駅の西側、鶴見花月園公園の下あたりに建っていたという。

 第1回の開校記念式典は1923年(大正12)、当時の木造校舎で行われ、翌24年に現在地に校舎が建設された。

児童のお祝いの会に式典

 15日、児童によるお祝いの会と、地域住民やPTA、学校関係者らによる記念式典・記念祝賀会が開催され、全校児童と来賓、住民らおよそ150人が出席。

 生麦地域全体で100年の節目を祝った。

地域の伝統行事「蛇も蚊も」を模し、会場を練り歩いた手作りの蛇(5年生)

各学年が感謝伝えるステージ

 児童のお祝いの会では、創立100周年児童実行委員が取り仕切るなか、各学年がこの日のために取り組んできた地域愛や学校への感謝を伝える劇や歌、ダンスなどを披露。

 昨年度6年生として100周年記念事業の土台を作った卒業生たちもお祝いに駆けつけ、「こうして大きくつながったことが嬉しい」「勉強だけでなく思いやりのある心を教えてもらった」「200周年までがんばって」などと、メッセージを寄せていた。

合奏の音色にお祝いの気持ちを込めた3年生

歌とボディーパーカッションで会場をわかせた2年生

大きな拍手が起こった1年生の演技

 最後には全校児童が体育館に揃い、児童や保護者、地域から歌詞を募り完成した創立100周年ソング『次へ』を合唱。

 ハッピーバースデーイベントとして、舞台上に児童手作りの巨大ケーキが登場し、出席者全員で校歌をうたい、学校の誕生日をお祝いの気持ちを届けた。

パーツごとに各学年が手作りして組み合わせた巨大ケーキも披露された

長年の積み重ねに感謝にじむ式典

 続く記念式典では、創立100周年記念事業運営委員長で生麦第一地区連合会の石川建治会長、同事業実行委員長で前PTA会長の向井久雄さんなどがあいさつ。

 石川会長は「亡くなった多くの先輩たちが築き上げたもの。感謝に耐えない。時代は変わっても生麦の温かさは残っている。卒業しても生麦に居付いてもらえたら」と話した。

 コロナ禍にスタートした記念事業の企画について触れた向井さんは「話し合いが始まったころは、会議すらできないような闇の中だった。皆さんの前であいさつできているなんて夢のようだ」としたうえで、「生麦に生まれ育ち、特別な100年に1度の瞬間に立ち会え、感謝と誇らしさでいっぱい」と笑顔を見せた。

運営委員長としてあいさつに立った石川建治会長

祝賀会はお祝いムード一色に

 お祝いムード一色となった祝賀会では、生麦囃子保存会の獅子舞などが華を添え、地元生麦出身の歌手・原田ヒロシさんによるコンサートなどで盛り上がった。

お祝いに華を添えた生麦囃子保存会

まちを発展させる原動力に

 小倉校長は「開校以来1万2千人を超える卒業生を送り出してきた。今回、子どもたち自らが次の100年に向けて活動したいと言ってくれた。児童と保護者、まちの皆さん、教職員が集う学校として、人と人とのかかわりや共感を大切にしながら、今後も教育活動に邁進したいと決意を新たにした」とコメント。

 「生麦のまちが大好きな子どもたちを育て、これからの生麦のまちを一層発展させていく原動力になれれば」と語った。

祝賀会で行われた鏡割り(写真右から、小倉孝行校長、生麦小学校PTA・内海啓輔会長、石川会長、生麦第一地区社会福祉協議会・飯田正二会長、向井実行委員長)

100周年記念として、地域から贈られた記念碑。100周年ソング『次へ』の歌詞が刻まれている

100周年記念事業として6月3日から15日まで校内に設置された100周年記念カフェ・交流場

歴代の卒業アルバムなどが展示され、多くの地域住民らでにぎわったという


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