全国トップクラスのマンモス校 市場小学校は本校、分校の2校体制でも「つながる」学び舎【鶴見区学校訪問】
2023年度に創立150周年
横浜市内および神奈川県下でトップ、全国でも8番目に児童数が多く(児童数1543人、2023年度現在)、2020年度からは本校と分校の2校にわかれている市場小学校。
23年度には創立150周年を迎え、実に1万4千人以上の卒業生を輩出してきた学校の歴史や児童たちの活動の様子を紹介する。
学制発布の翌年、民家の一室で産声
市場小学校が創立したのは、日本に学制が敷かれた翌年の1873年(明治6)6月6日。
当時の市場村で民家の一室を借りて開校した「真明学舎」が前身となっている。
79年(明治12)には村民の寄付により新しい校舎を建設。場所は横浜熊野神社=市場東中町=の境内だった。同神社には、現在も創立100周年の際に設置した市場小学校発祥の地である石碑が建っている。
明治後期、熊野神社となりに新校舎
1881年(明治14)には村立市場学校に名称を変更。1906年(明治39)になると、児童数が増加したため、横浜熊野神社の隣に新校舎が建てられた。
学校によると、新校舎は木造平屋建てで14教室あり、ろうそくやランプではなく電灯を使用。給食はなく家に食べに帰っていたとし、周辺が農家だったことから、繁忙期は学校が休みになっていたという。
その後、1909年(明治42)に名称を町田村立尋常町田小学校とすると、翌年には高等科を併置して同尋常高等町田小学校、12年(明治45)には市場小、矢向小、潮田小を足した形の町田村立尋常高等町田小学校などと変遷をたどった。
大正時代、関東大震災で校舎倒壊
大正に入り、1919年(大正8)に町田村立尋常高等第一町田小学校と変わった後、1923年(大正12)に潮田町立尋常高等市場小学校と改称。40数年ぶりに「市場」の名前が戻ったが、同年、関東大震災により校舎が倒壊。被災後は、矢向の日枝神社や近隣の会社の倉庫などを借りて授業を行ったという。
そして1925年(大正14)、現在の場所=元宮=に、当時では新しいモダンな校舎が完成。このときの名称は鶴見町立市場尋常高等小学校だった。
昭和初期〜戦後
横浜市に区制が敷かれ、鶴見区が誕生した1927年(昭和2)、横浜市立市場尋常高等小学校となった。
当時は16クラス児童798人が通い、教諭は20人だったという記録が残っている。
翌年には校旗、校章が制定されたが、校歌が作られたのは1940年のこと。戦時となり、1941年(昭和16)には横浜市市場国民学校となり、戦禍が激しくなると南足柄に集団で学童疎開。
終戦から2年後の1947年(昭和22)、学校教育法施行にともない、現在の校名である「横浜市立市場小学校」に変更された。学区は市場町、平安町、菅沢町、栄町三〜五丁目で、鶴見小学校と平安小学校の児童とともに学んでいたという。
昭和、平成と数々の表彰
1959年(昭和34)には3階建ての鉄筋校舎が建ち、82年(昭和57)には現在の南館が完成。
昭和年代には給食施設優良校や「よい歯」の表彰、青少年読書感想文全国コンクールなどでも表彰された。
現在の本校校舎は1995年(平成7)に建設。平成年代では、子ども自転車大会で市、県制覇のほか、横浜市交通安全優良校や優良PTAとして文部大臣賞を受賞するなど評価を受けた。
児童数急増、分校併設へ
10年ほど前、大規模工場跡地に大型マンションが建設されて以降、徐々に児童数が増加。2010年(平成22)にはプレハブ校舎を建設するなどしたが、2013年度の段階で数年後に児童数が倍増することが予測されたことなどから、新設校開設に向けた話し合いが進められた。
地域住民や保護者を交えた「市場小学校第二方面開校準備委員会」での議論の結果、新設校開校ではなく、市場小学校を一つの学校として存続させたうえで、「分校併設型」として児童数増加の課題を解消することを決めた。
10年限定として建てられた市場小学校けやき分校は、2020年(令和2)に開校。以来、1年生から4年生までが本校、5年生、6年生が分校に通う珍しい形となっている。
各学年児童たちの取組
開校から150年たった市場小学校。2023年度は創立150周年として各学年がさまざまな行事、授業に取り組んだ。
1年生は、創立150周年記念マスコットとして児童による投票で誕生した「けやボン」の塗り絵アートを作成。学校のフェンスに貼り出して地域にPRした。
2年生はクラスごとに大きな模造紙を使った手形アートを制作。7クラスそれぞれの「けやボン」を作り上げ、昨年11月にあった記念式典の壁面を飾った。
3年生は、切り絵で文字を作り、体育館や校舎にお祝いメッセージを掲示。式典や祝賀会のお祝いムードに華を添えた。
4年生は、学年で協力し、「市場小学校150周年おめでとう」という言葉を添え、学校とけやボンをかたどった壁面飾りを作成。体育館の壁面を色鮮やかな大きな作品で彩った。
5年生は校舎内のスロープに、学校の歴史ロードを設置。地域への取材や調査で歴史を調べ、学校や地域の移り変わりなどの様子を解き明かした。
6年生はクラスごとに取り組み、学区内にあるトンネルの壁面アートや、記念花火をパソコン上で実現するなど、最高学年として周年を盛り上げた。
昨年11月には、児童によるお祝い集会と、学区内9つの自治会・町内会を中心とした地域も含めた式典、祝賀会を実施。みんなで150歳をお祝いした。
本校と分校 わかれるからこその「つながり」
けやき分校が開校以降、全校児童が集まる場所がないことから、運動会をはじめとした全校行事は2部制などで工夫。卒業式も外部施設を借りて実施しているという。
重田英明校長は、「コロナ禍も相まったが、他の学校でできることがなかなかできない」と話す。
一方で、できないことの一つであった「たてわり活動」は今年度ようやくスタート。「けやボンタイム」として、2カ月に一度の頻度で1〜6年生までのグループを作り交流を図ってきた。
「学校がわかれている分、子どもたちは『つながる』という意識が強いかもしれない」と重田校長。
150周年のスローガンは「みんなでつなげて もりあげて こころにのこす 150th」だった。
来年度以降も、本校と分校がつながり、地域で輝く“市場っ子”を育てていく。