生麦事件 発生現場に案内板復活 住民の熱意で区が設置
旧案内板が行方不明に
のちに日本が近代化へ舵を切るきっかけとなった生麦事件の発生現場(生麦4丁目付近)に、解説などが書かれた案内板が新たに設置された。
生麦事件は、文久2年(1862)8月21日、江戸から京都に向かっていた薩摩藩の大名行列に立ち入った英国人4人が、藩士に殺傷された事件。その後、薩英戦争から明治維新へとつながった事件は、日本開国に大きな影響をもたらしたとされる。今年、発生から160年を迎えた。
発生現場とされるのは生麦4丁目付近。もともと案内板は、生麦駅そばで私設の参考館を運営している浅海武夫さんが1999年に設置していたが、昨年夏、プレートを掲示していた宅地が開発され行方知れずとなってしまっていた。
見当たらずさまよう来訪者も
旧案内板を発見したのは近隣住民。キリンビール横浜工場の入り口にある生麦事件碑に発生現場の位置を伝える地図があることなどから、案内板を目当てに訪れる人から場所を尋ねられることが多くあったという。
「勉強のために来る親子連れも多い。無くなってからは見当たらずにうろうろする姿も目立った」とし、近隣住民の一人が開発業者に確認。業者が保管していることがわかり、歴史の会などに連絡したうえ区に相談して設置を促すなど奔走した。
解説文や錦絵で発生を伝える
新設にあたっては、道路への設置などを鶴見区が調整。区の予算で制作され、内容については鶴見歴史の会や、地元町会有志からなる生麦事件碑顕彰会、浅海さんが協力した。
案内板には事件の解説文のほか、生麦周辺の史実を記した関口日記の一節や発生の様子を描いた錦絵が盛り込まれた。サイズは縦約1.5m、横34cmのアルミ製。生麦4−25付近の道路上に建てられている。
記載された解説文を監修した鶴見歴史の会の齋藤美枝さんは「浅海さんからスタートした貴重な史実。地域の方の尽力で後世に残る形となり本当に喜ばしい限り」と話した。