今日の「鶴見な人」vol.10 吉澤 政人さん(難病チャレンジランナー/走る人 マサト)

重ねた〝挑戦〟で拓く道

吉澤 政人さんよしざわ   まさと 鶴見中央在住 26歳

 「走る人 マサト」として、世界の砂漠や雪山、ジャングルなどをかけるマラソン競技「アドベンチャーマラソン」にチャレンジする。抱えるのは、壮大な夢と目標、そして汗が手足からしか出ない「無汗症」という難病。次の挑戦は6月、南米アマゾンのジャングルを走る。「できるところまでやる」。ポジティブに笑う青年は、今日もまた〝挑戦〟を重ねている。

アドベンチャーマラソンでサハラ砂漠を走る吉澤さん(=本人提供)

◇ ◇ ◇

 日本では数百人ほどしか患者がいないとされる「無汗症」。自律神経系の難病で、自身は後天性だという。

 判明したのは社会人1年目の23歳のとき。翌年にアドベンチャーマラソンへの初出場を決めた後だった。

 初チャレンジのゴールは、アフリカ北部・サハラ砂漠250㎞走破。

 発汗は、運動時に体温調節など身体機能を維持するために必須となる要件。当然、医師からは止められた。

 「出来ないかも」。ただ、そう思ったのは一瞬だった。「できるところまで、やってみようと思った。そこに迷いはなかった」。眼差しはまっすぐで力強い。

インタビューに応える吉澤さん

◇ ◇ ◇

 もともとマラソンや走ることを続けてきたわけじゃない。

 鶴見で生まれ、鶴見小学校卒業後は日本大学高等学校・中学校と進んだ学生時代。

 「高校生になり、水泳部ではレギュラーを取れず、勉強もできなかった」。くすぶり積もったコンプレックス。そこが原点だった。

 時はまさに東京五輪に向け、日夜機運が高まっているタイミング。同世代が活躍している様子にも背中を押され、大学生で始めたのがチャレンジの数々だった。

 「やることリスト」を作り、思い立ったら書く、そして動く。それを繰り返した。

 「回転すし店の一番客になる」「憧れの人に会う」「毎日10㎞走る」。くだらないことでも目標に転換し、達成する日々。毎日10㎞は、大学4年間走り抜いた。

リストに書いた一つ、スカイダイビング(写真=本人提供)

◇ ◇ ◇

 最大の転機となったのは、卒業前に旅行と称して挑戦した「徒歩で東京-大阪間500㎞の旅」。SNSで発信すると、多くの反響があった。

 ゴールの大阪城で待ってくれている人もいた。「チャレンジは勇気を与えられる」。日増しに大きくなった自信。すでに就職が決まっていたが、「チャレンジで食べていきたい」。重ねた達成感がそう決めさせた。

◇ ◇ ◇

 「昔から熱中症にはなりやすかった」。気づかなかった難病。体温調節がうまくいかず、めまいや倦怠感など体調は不安定なことが日常的だ。

 だが、外見はほとんど健常者のため、「わかってもらえないことが多い」と吐露する。

 季節の変わり目など、自律神経が乱れると、就寝中にシーツがびしょ濡れになるほど汗をかくこともあるという。

 認知度が低く理解されていないと感じるからこそ、「発信することが大切」と感じている。SNSなどで定期的に発信を続ける中、子どもが無汗症だという親から「勇気づけられた」というメッセージが届いた。

 「無汗症は自分の特徴。この病気で良かったと思った」。悩んでいる人たちに希望を与えられていること。それは原動力として、自分自身のためにもなっている。

走ったあとの手。汗のせいか皮がむけるのも症状だという

◇ ◇ ◇

 現在は、スポーツジムでインストラクターを務めながらトレーニングに励む。

 やることリストは200以上あげたうち150は達成。現在進行形で増やしている。

 「やっていくうちに自分の可能性を信じられるようになった」

 達成の秘訣は「やりたいリストに生活や行動を寄せていって、やったことにしちゃうんです」と、いたずらっぽく明かす。

体調に合わせながらトレーニング(本人提供)

◇ ◇ ◇

 一昨年、初めて臨んだサハラ砂漠のアドベンチャーマラソン。1200人中700人だった完走者の中に入った。

 次は南米ペルーのアマゾンで5日間230㎞を走るという過酷なレース。食料や飲み物など、必要なものはすべて自分で担ぎ、寝床はハンモックで作る。

 「ここまで過酷なことはない。非日常が魅力。自分と環境との勝負」。そう話す表情はやる気と充実感が満ちる。

環境と自分という孤独な戦いであるレース。気温が55度にもなる環境で、熱中症に最新の注意を払ったと振り返る(本人提供)

サハラ砂漠でみごと完走(本人提供)

◇ ◇ ◇

 目標は20代のうちに、世界7大陸アドベンチャーマラソンを走破すること。そして、TBSテレビの「情熱大陸」に出演すること。

 どちらも、挑戦するきっかけをくれた〝先輩ランナー〟の北田雄夫さんが達成していることだ。

 「東京大阪間を歩いたあと、北田さんの動画を見てアドベンチャーマラソンを知った。憧れの人」。プロのアドベンチャーランナーとして生計を立てる夢も北田さんが先駆者だが、自身には「無汗症」という特徴がある。

 これまでに例のない難病チャレンジランナーとして生きていく―

 その一歩として先日、駒岡にある㈱カナイエンタープライズとのスポンサー契約も結んだ。

 「プロとしての一歩目を切れた」。挑戦を重ね、はねのけた劣等感。汗なきことが苦難な〝我が道〟に、今日も挑み続ける。(了)

難病という難しいイメージとは異なり、ポジティブな考えと笑顔が印象的な吉澤さん


最新記事