今日の「鶴見な人」vol.10 吉澤 政人さん(難病チャレンジランナー/走る人 マサト)

重ねた〝挑戦〟で拓く道
吉澤 政人さん 鶴見中央在住 26歳

アドベンチャーマラソンでサハラ砂漠を走る吉澤さん(=本人提供)
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日本では数百人ほどしか患者がいないとされる「無汗症」。自律神経系の難病で、自身は後天性だという。
判明したのは社会人1年目の23歳のとき。翌年にアドベンチャーマラソンへの初出場を決めた後だった。
初チャレンジのゴールは、アフリカ北部・サハラ砂漠250㎞走破。
発汗は、運動時に体温調節など身体機能を維持するために必須となる要件。当然、医師からは止められた。
「出来ないかも」。ただ、そう思ったのは一瞬だった。「できるところまで、やってみようと思った。そこに迷いはなかった」。眼差しはまっすぐで力強い。

インタビューに応える吉澤さん
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もともとマラソンや走ることを続けてきたわけじゃない。
鶴見で生まれ、鶴見小学校卒業後は日本大学高等学校・中学校と進んだ学生時代。
「高校生になり、水泳部ではレギュラーを取れず、勉強もできなかった」。くすぶり積もったコンプレックス。そこが原点だった。
時はまさに東京五輪に向け、日夜機運が高まっているタイミング。同世代が活躍している様子にも背中を押され、大学生で始めたのがチャレンジの数々だった。
「やることリスト」を作り、思い立ったら書く、そして動く。それを繰り返した。
「回転すし店の一番客になる」「憧れの人に会う」「毎日10㎞走る」。くだらないことでも目標に転換し、達成する日々。毎日10㎞は、大学4年間走り抜いた。
- スマートフォンに入っている「やることリスト」の一部
- 達成のチェックは増え続けている(=本人提供)

リストに書いた一つ、スカイダイビング(写真=本人提供)
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最大の転機となったのは、卒業前に旅行と称して挑戦した「徒歩で東京-大阪間500㎞の旅」。SNSで発信すると、多くの反響があった。
ゴールの大阪城で待ってくれている人もいた。「チャレンジは勇気を与えられる」。日増しに大きくなった自信。すでに就職が決まっていたが、「チャレンジで食べていきたい」。重ねた達成感がそう決めさせた。
- 渋谷駅からスタート(吉澤さんのInstagramより=本人提供)
- 大阪城のゴールまで500㎞を歩いた(吉澤さんのInstagramより=本人提供)
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「昔から熱中症にはなりやすかった」。気づかなかった難病。体温調節がうまくいかず、めまいや倦怠感など体調は不安定なことが日常的だ。
だが、外見はほとんど健常者のため、「わかってもらえないことが多い」と吐露する。
季節の変わり目など、自律神経が乱れると、就寝中にシーツがびしょ濡れになるほど汗をかくこともあるという。
認知度が低く理解されていないと感じるからこそ、「発信することが大切」と感じている。SNSなどで定期的に発信を続ける中、子どもが無汗症だという親から「勇気づけられた」というメッセージが届いた。
「無汗症は自分の特徴。この病気で良かったと思った」。悩んでいる人たちに希望を与えられていること。それは原動力として、自分自身のためにもなっている。

走ったあとの手。汗のせいか皮がむけるのも症状だという
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現在は、スポーツジムでインストラクターを務めながらトレーニングに励む。
やることリストは200以上あげたうち150は達成。現在進行形で増やしている。
「やっていくうちに自分の可能性を信じられるようになった」
達成の秘訣は「やりたいリストに生活や行動を寄せていって、やったことにしちゃうんです」と、いたずらっぽく明かす。

体調に合わせながらトレーニング(本人提供)
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一昨年、初めて臨んだサハラ砂漠のアドベンチャーマラソン。1200人中700人だった完走者の中に入った。
次は南米ペルーのアマゾンで5日間230㎞を走るという過酷なレース。食料や飲み物など、必要なものはすべて自分で担ぎ、寝床はハンモックで作る。
「ここまで過酷なことはない。非日常が魅力。自分と環境との勝負」。そう話す表情はやる気と充実感が満ちる。

環境と自分という孤独な戦いであるレース。気温が55度にもなる環境で、熱中症に最新の注意を払ったと振り返る(本人提供)

サハラ砂漠でみごと完走(本人提供)
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目標は20代のうちに、世界7大陸アドベンチャーマラソンを走破すること。そして、TBSテレビの「情熱大陸」に出演すること。
どちらも、挑戦するきっかけをくれた〝先輩ランナー〟の北田雄夫さんが達成していることだ。
「東京大阪間を歩いたあと、北田さんの動画を見てアドベンチャーマラソンを知った。憧れの人」。プロのアドベンチャーランナーとして生計を立てる夢も北田さんが先駆者だが、自身には「無汗症」という特徴がある。
これまでに例のない難病チャレンジランナーとして生きていく―
その一歩として先日、駒岡にある㈱カナイエンタープライズとのスポンサー契約も結んだ。
「プロとしての一歩目を切れた」。挑戦を重ね、はねのけた劣等感。汗なきことが苦難な〝我が道〟に、今日も挑み続ける。(了)

難病という難しいイメージとは異なり、ポジティブな考えと笑顔が印象的な吉澤さん