東海道が走る鶴見で、江戸時代、幕府に魚介類を献上する「御菜八ヶ浦」の一つなどとして栄えた生麦。

 「生麦事件」で歴史に名を刻み、現在はキリンビール横浜工場がある場所としても知られるこの土地を「ふるさと」と称する音楽家がいる。

 ともに生麦に縁を持ち、国内外で活躍する2人。

 一人は、10代で海を渡り、打楽器奏者として本場ブラジル・リオデジャネイロ州指定無形文化遺産の名門サンバチーム「Império Serrano」(インペーリオ・セハーノ)で25年活動し、同団体日本支部代表で公式指導者証を持つ唯一の外国人でもあるKTa☆brasil(ケイタ・ブラジル)さん。

 そしてもう一人は、2006年にメジャーデビューして以降、ボーカルのない楽器のみのジャンル・インストゥルメンタルでは国内有数のバンドとして人気を博すSPECIAL OTHERS(スペシャルアザース)のギター・柳下武史さんだ。

思い出の地巡り「生麦」を語る

 今回、「地元をイメージして一緒に音を鳴らし始めた」というケイタさんの一言を聞き、鶴見区特化型ポータルサイトこれつる~日日是つるみ~編集部では特別インタビューを企画。

 異なる道を歩みながらも、大好きな地元の空気を今も自分たちの音楽や生活に息づかせている2人に、思い出の地を巡りながら「地元・鶴見生麦」について語ってもらった。

 彼らのルーツ、そしてこれからの鶴見・生麦への思いとは―

スタジオではなく、生麦地区センターの一室で音を鳴らす2人。あいさつもそこそこに、持ち寄った楽器を紹介する間に即興でセッションが始まった

地区センで感じる〝地元〟

 集合場所は生麦地区センター。

 国内外で数々の大舞台に立ってきたアーティストとは思えないラフな雰囲気で、楽器を片手にやってきた2人。「生麦のアンセム作ろうよ」とケイタさんが呼びかけ、最初にセッションしたのも地区センだったという。

 「今日が2回目。スタジオではなく、生麦の風を感じながらの方がいいでしょ」とケイタさんは笑う。

出会いは20年前の京都

 2人の出会いは20年ほど前までさかのぼる。

 京都のクラブ・METRO。ケイタさんがDJとMCで参加したイベントに、SPECIAL OTHERSが出演。それまでは面識のなかったという2人。「話していたら生麦の地名が出て、まさか京都でって盛り上がって意気投合した」と声をそろえる。

 当時、出会う前に友人に薦められてスペアザを知ったというケイタさん。「インストで新しいセンスを持った良い感じのバンド」と初めて楽曲を聴いたときのことに触れ、柳下さんも「音楽のメジャー路線でない楽器を手に活動する姿に興味が高まった」とケイタさんの第一印象を語る。

 その後、ケイタさんは司会を務めた音楽番組やラジオなどでスペアザを紹介していたものの、実は現場で一緒になる機会がなかったという。

あっという間にリズムが重なり、音楽を奏でる姿は「さすが」の一言だった

〝ケイタ尽くし〟で再会へ

 再び縁がつながったのは、昨年夏に刊行された『地球の歩き方』の横浜市版。

 ケイタさんは同書で市内の歴史や文化、スポット紹介などの寄稿を依頼された際、音楽のページが無いと自ら企画し、ここでもスペアザを紹介。その文章がマネジャーの目に触れたことをきっかけに、20年ぶりの再会にいたったという。

 「スペアザのこと書いてますとマネジャーに言われて、寄稿者を見たらケイタさんで」と柳下さん。「紹介されて有難いなと思っていたら、不思議とそのあとも、インターネットで目についた花月園の記事を読んでいたら、書いたのがケイタさん。生麦事件の講演があるって知って、興味あるなと思ったら講師がケイタさんで」と、降ってわいたように〝ケイタ尽くし〟が続いたと明かす。

 SNSでつながり、今年5月、ケイタさんが講師として登壇した鶴見神社での講演会に柳下さんが参加。それをきっかけにケイタさんが「一緒にやろう」と声をかけ、今回のセッションがスタートした。

広い会議室に2人。地区センとプロの音楽家という雰囲気が味わい深い

KTa☆brasilの原点は「花月園」にあり

 母方の実家が岸谷にあり、幼少期はことあるごとに鶴見で過ごしたというケイタさん。「お宮参りは杉山神社」「初めてのプールは岸谷プール」「生見尾踏切の長さがスタンダードだった」など、色濃く残る原風景は生麦にあることをうかがわせる。

 そんなケイタさんの音楽のルーツは、日本初の常設ダンスホールがあった「花月園」だと説明する。年代ごとに等身大の音楽を聴いてきた」としながら、その音楽たちの元をたどると、ワールドミュージックが原点であることに気づいた高校時代。

 ある種の真理に行きついたケイタ青年は、横浜のCDショップのワールドミュージックコーナーでリオのカーニバルのCDをジャケット買いし、ブラジルの音楽にどっぷりハマっていったという。

 現在の活動にもつながるラテン音楽との出会いは、さまざまな音楽を探求した末にたどり着いたものと思っていたが、聴き始めたことを知った母親からは「バカにされた」と一笑。

 かつて東洋一と言われた花月園遊園地が近所だった母の実家には、遊園地内にあった日本初の営業ダンスホールに通う曾祖父の時代から、もともとラテンアメリカの音楽が流れていたからだ。

 「思い出すと、幼少期から母の実家ではラテンやブラジルの音楽が流れていた」。気づかぬままBGMのように耳にしていたラテン音楽。本場で学びたいと19歳でブラジルに渡り、その後の人生を決定づけた。

 「今思うと、おじいちゃんからもらったカセットテープに入っていたのは、ブラジルの有名なアーティストのサンバの曲で。もう聴いてたんだなって」。染みついていた音楽のルーツを説明する。

打楽器だけでなく幅広い楽器をこなすケイタさん

いなかったギターヒーロー 柳下武史のルーツ

 一方、柳下さんは「激動の音楽人生があるわけでもないんです」と自身の原点を振り返る。

 インターネットもまだなく、音楽のことを知るのは、テレビが限界だった時代。14歳のとき、一世を風靡したグループ「TM NETWORK」が解散する特集を見て、小室哲哉に憧れてキーボードを買ったのが音楽の始まりだった。

 「ちょっと練習したけどうまくならず、基本的なコードが押さえられるくらいだった」。そしてそのまま高校に進学。ギターとの出会いは、入学時、父親が買ってくれたのがきっかけだった。

 「家には多分父親が使っていた古いガットギターがあって。父親はギターをやらせたかったんじゃないかな。確か、グローブとギターって言われて、ギターを選んだ」と懐かしむ。

 「最初のうちは雲をつかむようだった」という独学での練習。色んな本を買い、学び始めるものの、いわゆる憧れの「ギターヒーロー」がいたわけではなく、目の前にある流行りの音楽をとにかく演奏したというのが思い出だ。

 SPECIAL OTHERSは、それからすぐ、「文化祭で演奏するためのバンド」として軽音楽部の仲間4人で結成した。

 当時人気だったGRAYやラルクアンシエルのコピーから始まり、パンクロックなどを経て異なる音楽要素を合わせるジャンル「ミクスチャー」と出会ったことで、ワールドミュージックに傾倒。即興で音楽を奏でるジャムバンドのスタイルにも触れ、卒業後、現在のスペアザの路線につながっていった。

ラフスケッチ的に生麦をイメージした音があると弾き始めた柳下さん

人情味あふれる温かなまち「生麦」

 2人が声をそろえる生麦独特の雰囲気は「人情味」。

 個人商店が多く、人の近さ、温かみを感じるまちだと評する。「生麦にも大きな資本が入って小さい店が減ってしまったが、今の時代だからこそ、このアナログさ、下町の温もりが逆に最先端になるのではないかと思う」とケイタさん。

 柳下さんも「最近は若い人も増えていて、アップデートされていると感じる。港町横浜の中でも中心部に近いのに昔ながらの文化が残っていて、横浜ならではの面白いまち」と呼応する。

まちを散策する2人。知り合いに会うことも多いという、地元民ならではのエピソードも

 さらにケイタさんは 「バリエーションがある。京浜工業地帯があるから工場関係者が昔からいるし、生麦には古き良き物事や気風が驚くほど残っているから、人工的でなく、路地にもいろんな事柄が自然にある。歴史の気配を感じるまち」と分析。

 柳下さんは「まち自体が最初から設計されていないからこそ、必要に応じて変化してきた生き物のようなまち。設計されたまちと比べたら機能的な欠陥があるかもしれないけど、だからこそ生命体のような力強さが残っているのではないかと思う」とまちの良さを表現する。

生麦のスタンダードはすでに魅力

 銭湯に個人商店、長い踏切、「スタンダードが生麦」だという2人。小さいころ当たり前だった景色や文化は、大人になり、地元を離れ、外を見てきたからこそ大きな魅力として感じるようになった。

 「意識したことがないから、このまちが音楽づくりにどう影響しているかはわからない」

 柳下さんはそう前置きしながら、「楽曲も初めから設計はせずに、でこぼこでもいいから面白いものを作ろうと思っている。かっこわるくても温かみがあるもの。欠けている方が人間らしくて面白い。そこは『生麦のまちから感じ取ったもの』ということはあるかもしれない」と思い返すように答えた。

貝殻浜で出会った子どもたちとコミュニケーション

即興ライブも披露

 実は生麦地区センターで打楽器レッスンも行っているケイタさん。生麦をイメージした楽曲(アンセム)を構想しつつ、「楽器で遊ぼう」と気軽な感じで柳下さんを誘ったというが、「初回でさっと弾いた感じがすごくよかった。歌とか色々考えたけど、まずはそんな曲でいいのかなと思っている」と、このまちの風に乗りながら完成に向かう緩やかな道筋を思い浮かべる。

 「音楽って人が生きてく上で必ずしも必要なものではないかもしれないけど、あると豊かな気持ちになれるもの」と柳下さんは話す。

外に出たからこそわかる生麦の魅力を語ってくれたケイタさん(右)と柳下さん(左)

 生麦アンセムが完成するかどうかは、きっと2人とこのまち次第。設計書にない時代の流れのなかで、さまざまな文化が混ぜ合わさり、形作られる生麦の今。

 奇しくもこのまちに縁を持ち、さまざまな要素を組み合わせた音楽に素地のある2人が、生麦の魅力を音に乗せ、届けてくれる日は近い。(了)

【KTa☆brasil(ケイタ・ブラジル)】

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以下ロケスナップ【ロケ撮影=生麦各所】

地元の名スポット・キリンビール横浜工場の広場。このロケーションが好きで、いつかフェスがやりたいと思いをはせる2人


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